四日市高等学校七十年史
1944年東南海地震の際の体験談として、授業中に大地震が襲い、再建中の校舎がつぶれたこと、動員先の板ガラス工場の3本煙突が真ん中から折れたことなどが記されている(P591~592)。
四日市市水道五十年史
1944年東南海地震の際、四日市市内での揺れによる建造物の倒壊被害や、臨海部工業地域の被害状況、上水道施設が臨海部を中心に配水管の折損や接合部の緩みのため漏水を起こしたことなどが記されている(P173
四日市市小古曽町郷土誌
1944年東南海地震の際、式内小許曽神社境内にあった石の二の鳥居が倒壊したことが記されている(P102、P308)。
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 小菅 弘正さん)
小菅弘正さん(当時旧制中学校5年生)第二海軍燃料廠で作業中に地震が起きた。技術将校から建物の外へ避難するよう言われ、出たところで当時、東洋一といわれた石原産業の高さ180mの煙突が上部5分の1ほどのところで折れるのが見えた。