昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 小菅 弘正さん)
小菅弘正さん(当時旧制中学校5年生)第二海軍燃料廠で作業中に地震が起きた。技術将校から建物の外へ避難するよう言われ、出たところで当時、東洋一といわれた石原産業の高さ180mの煙突が上部5分の1ほどのところで折れるのが見えた。
昭和19年東南海地震 体験談(一志郡太郎生村(のちの美杉村) 小林 吉秀さん)
小林吉秀(当時、太郎生国民学校初等科6年、一志郡太郎生村(のちの美杉村)在住)は、自宅の畑で地震に遭った。近くの山が3割くらいの範囲に亘って割れて崩れ、太郎生の集落の方へ落ちてきた。
昭和19年東南海地震 体験談(小俣町明野 野村スマさん)
大日本帝国陸軍明野飛行学校えんたい内で、通信班として地図のボード前でヘッドフォーンを装着し、業務を行っていたところ、突然大きな揺れに襲われた。
昭和東南海地震体験談 津波がすべてを飲み込んで(尾鷲市賀田町)
三重県が作成した津波CGと尾鷲市賀田町 三國 憲三さん(被災当時8歳)の昭和19年東南海地震の体験談。