尾鷲市史 下巻

「第五章 現代の尾鷲」の中に、チリ地震津波の項があり、チリ地震の際の状況が記載されている。この中で、この津波は「周期が長く、鎌首をもたげた直立状の大波が押し寄せるという型ではなかった」こと、「夜明け前
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尾鷲市史年表

他のできごととともに、地震・津波があったことを、参考にした文献名とともに年代形式でまとめている。(P2~7、10~11、14~15、20~23、66~67、114~117、132~135)。
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尾鷲市

七十年小史1992

1944年東南海地震の際の尾鷲高等女学校、尾鷲中学校それぞれの状況に関する記載があり、尾鷲高等女学校については、尾鷲缶詰工場などに動員中に地震に遭遇したこと、尾鷲中学校については、生徒がグラウンドに緊
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「津波の碑」をめぐる

尾鷲市賀田町 東禅寺へ上る道の脇の石垣上にある「安政津浪潮位点」の碑

尾鷲市賀田町の東禅寺へ上る道の脇の石垣上にある「安政津浪潮位点」の碑。1854年安政東海地震の際の津波潮位点を示している。 pdf 場所情報 [g
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尾鷲市

三木里郷土史(尾鷲市)

三木里への津波来襲の様子についての記述がある。「第1回目は地震が止んで、約10分後に来襲した。三木里浜沖が干潟になった後、7~10mの波が八十川伝いにさかのぼり、大新田奥の大塚までのぼり、その際八十川筋の家屋をなぎ倒してしまった。第1回目の波から5分間隔位に来襲し、5回目の波が引いて海は平穏になった。」
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