「津波の碑」をめぐる

熊野市新鹿町 里川北側の道路脇(熊野市立新鹿小中学校北側付近)にある「東南海大地震津波到達地点」の碑

熊野市新鹿町の里川北側の道路脇(熊野市立新鹿小中学校北側付近)にある「東南海大地震津波到達地点」の碑。1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。 pdf 場所情報 [geo_mashup_l
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「津波の碑」をめぐる

熊野市新鹿町 JR新鹿駅北方の線路東側沿いの民家の石垣にある「宝永地震津波の記」

熊野市新鹿町JR新鹿駅北方の線路東側沿いの民家の石垣にある「宝永地震津波の記」。碑には、宝永地震の際、津波がこの場所まで達したことが記されている。 pdf 場所情報 [geo_mashup_locat
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「津波の碑」をめぐる

熊野市磯崎町 磯崎漁港南側の民家前にある「東南海大地震津波到達地点」の碑

熊野市磯崎町の磯崎漁港南側の民家前にある「東南海大地震津波到達地点」の碑。1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。 pdf 場所情報
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「津波の碑」をめぐる

大紀町錦 金蔵寺境内の「津波流死塔」と「大震肅災記念碑」

大紀町錦の金蔵寺境内にある「津波流死塔」と「大震肅災記念碑」。「津波流死塔」には、1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が、「大震肅災記念碑」には、194
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「津波の碑」をめぐる

紀北町紀伊長島区長島 仏光寺境内の「津波供養塔」

紀北町紀伊長島区長島の仏光寺境内にある津波供養塔。供養塔が二つ並んであり、向かって右側の碑が、1707年宝永地震津波の供養塔、左側の碑が、1854年安政東海地震津波の供養塔である。それぞれの碑には、津
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「津波の碑」をめぐる

紀北町紀伊長島区三浦 三浦漁民センター横堤防脇の「津波之碑」

紀北町紀伊長島区三浦の三浦漁民センター横堤防脇にある「津波之碑」。1944年東南海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相などが記されている。碑文の内容は『年報海と人間』に詳しい。 pd
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「津波の碑」をめぐる

紀北町海山区相賀 日和山山麓下の「奉石書佛経宝塔」の碑

紀北町海山区相賀の日和山山麓下にある「奉石書佛経宝塔」の碑。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の内容は『年報海と人間
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「津波の碑」をめぐる

紀北町海山区引本浦 吉祥院山門脇の「津波の碑」

紀北町海山区引本浦の吉祥院山門脇にある「津波の碑」。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の内容は『年報海と人間』に詳し
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鳥羽市浦村町今浦 大江寺山門下の「大津浪塩先地の碑」

鳥羽市浦村町今浦の大江寺山門下にある「大津浪塩先地の碑」。石碑には「大津浪塩先地」の文字が刻まれている。1854年安政東海地震の際にここまで津波の波先がここまで到達したことを伝えている。 pdf 場所
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鳥羽市国崎町 常福寺境内の「津波流失塔」

鳥羽市国崎町の常福寺境内にある「津波流失塔」。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相が記されている。碑文の中に「於當村浪高彦間而七丈五尺」の文字がみられる。碑文の内容は『年報海
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