1944年東南海地震当日の体験談として、生徒の動員先の工場で地震に遭遇したこと、山田では「津波が来る」との流言があったこと、授業中に突然大揺れがはじまり、到底立っていられないような揺れであったこと、教室の壁には大きい亀裂が入り、地面にもひび割れができたが、この時の被害は公表されなかったこと、汽車が不通となり歩いて帰ったこと、などが記されている(P157~159、162、172、558、563~564、627~629、635~636)。