ハザードマップ(津市:地震防災マップ)
この「マップ」は、東海・東南海・南海地震が同時に発生した場合の最悪の状況を想定し、震度のほか地盤の液状化危険度や急傾斜地崩壊危険箇所、津波による浸水域の分布等を示しています。 津市防災マップ一覧表(P
昭和19年東南海地震 体験談(四日市市 小菅 弘正さん)
小菅弘正さん(当時旧制中学校5年生)第二海軍燃料廠で作業中に地震が起きた。技術将校から建物の外へ避難するよう言われ、出たところで当時、東洋一といわれた石原産業の高さ180mの煙突が上部5分の1ほどのところで折れるのが見えた。
昭和19年東南海地震 体験談(一志郡太郎生村(のちの美杉村) 小林 吉秀さん)
小林吉秀(当時、太郎生国民学校初等科6年、一志郡太郎生村(のちの美杉村)在住)は、自宅の畑で地震に遭った。近くの山が3割くらいの範囲に亘って割れて崩れ、太郎生の集落の方へ落ちてきた。
熊野市甫母町 甫母須野漁村センター裏の「東南海大地震津波到達地点」の碑
熊野市甫母町の甫母須野漁村センター裏にある「東南海大地震津波到達地点」の碑。1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。 タイトル 熊野市甫母町の甫母須野漁村センター裏にある「東南海大地震津波
熊野市二木島里町 二木島里町民会館裏の「東南海大地震津波到達地点」の碑
熊野市二木島里町の二木島里町民会館裏にある「東南海大地震津波到達地点」の碑。1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。 pdf 場所情報
熊野市二木島町 逢川橋脇にある「津浪地蔵」
熊野市二木島町の逢川にかかる逢川橋脇にある「津浪地蔵」。「津浪地蔵」の脇に説明看板があり、「津浪地蔵」の由来や、1854年安政東海地震の際、津波がこの場所まできたことが書かれている
熊野市二木島町 逢川橋脇の墓地入口にある「森本福太郎翁顕彰碑」と、 「東南海大地震津波到達地点」の碑
熊野市二木島町の逢川橋脇の墓地入口にある「森本福太郎翁顕彰碑」と、 「東南海大地震津波到達地点」の碑。「東南海大地震津波到達地点」の碑は、1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。
熊野市二木島町 荒坂中学校に上る道路脇にある「東南海大地震津波到達地点」の碑
熊野市二木島町の荒坂中学校に上るJR線路沿いの道路脇にある「東南海大地震津波到達地点」の碑。1944年東南海地震の際の津波到達地点を示している。 pdf 場所情報 [geo_mashup_locati
熊野市二木島町 荒坂分団車庫脇にある「東南海大地震の記」の碑
熊野市二木島町の荒坂分団車庫脇にある「東南海大地震の記」の碑。 1944年東南海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相が記されている。 pdf 場所情報 [geo_mashup_location_
熊野市遊木町 光明寺境内の「嘉永の津波供養塔」
熊野市遊木町の光明寺境内にある「嘉永の津波供養塔」。1707年宝永地震の際に、大地震と津波があったことや、1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相、後世に遺そうとした津波教訓が記さ