志摩市阿児町甲賀 妙音寺裏の「地震津浪遺戒」の碑
志摩市阿児町甲賀の妙音寺裏にある「地震津浪遺戒」の碑。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相、「嗟呼 天災實ニ測ルベカラズ」以下の部分には、後世に遺そうとした津波教訓が記されて
志摩市志摩町越賀 大蔵寺境内の「津浪流倒記」
志摩市志摩町越賀の大蔵寺境内にある「津浪流倒記」。 1854年安政東海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相、「向後若大地震・・・」以下の部分には、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の
南伊勢町神津佐の墓地手前東側の道沿いにある「爲溺死菩薩」
南伊勢町神津佐の墓地手前東側の道沿いにある「爲溺死菩薩」。 正面碑文には、「寶永四丁亥十月四日津浪」、「安政元甲寅十一月四日津浪」の文字がある。 pdf 場所情報 [geo_mashup_locati
南伊勢町贄浦 最明寺山門下の「津波供養塔」
南伊勢町贄浦の最明寺山門下にある津波供養塔。供養塔が二つ並んであり、向かって右側の「大乗經」と書かれている碑が、1707年宝永地震津波の供養塔、左側の「供養塔」と書かれている碑が、1854年安政東海地
南伊勢町古和浦 甘露寺入口の「津波供養寶塔」
南伊勢町古和浦の甘露寺入口にある「津波供養寶塔」。 1944年東南海地震の際に、この地を襲った津波や被害の様相が記されている。碑文の内容は『年報海と人間』に詳しい。 pdf 場所情報 [g
南伊勢町古和浦 甘露寺横の墓地内にある「三界萬霊」の碑
南伊勢町古和浦の甘露寺横の墓地内にある「三界萬霊」の碑。宝永地震の際、この地を襲った津波の様相や、民家が残らず流失して、80名余りが溺死して亡くなったこと、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑
三木里郷土史(尾鷲市)
三木里への津波来襲の様子についての記述がある。「第1回目は地震が止んで、約10分後に来襲した。三木里浜沖が干潟になった後、7~10mの波が八十川伝いにさかのぼり、大新田奥の大塚までのぼり、その際八十川筋の家屋をなぎ倒してしまった。第1回目の波から5分間隔位に来襲し、5回目の波が引いて海は平穏になった。」
昭和19年東南海地震 体験談(小俣町明野 野村スマさん)
大日本帝国陸軍明野飛行学校えんたい内で、通信班として地図のボード前でヘッドフォーンを装着し、業務を行っていたところ、突然大きな揺れに襲われた。
鳥羽市浦村町本浦 清岩庵「津波の碑」
鳥羽市浦村町本浦の清岩庵門脇の境内にある津波記念碑。1854年安政東海地震の際に到達した津波の様相や、後世に遺そうとした津波教訓が記されている。碑文の内容は『年報海と人間』に詳しい。
平成25年度伊賀広域防災拠点活動訓練(YouTube)
2013年5月26日(日曜)に三重県伊賀市の伊賀広域防災拠点で行われた「平成25年度伊賀広域防災拠点活動訓練」の模様
訓練前の防災拠点・訓練設定の説明と三重県警航空隊のA109E「いせ」による三重県知事緊急搬送の模様