南伊勢町の安政の地震・津波(絵本)
南伊勢町では1704年宝永地震から300年の間に、安政、昭和東南海と3回地震津波に襲われたが、安政地震が一番人的被害が少なかった。理由として当時、庄屋を中心に防災意識が高かったことが挙げられており、そ
四日市高等学校七十年史
1944年東南海地震の際の体験談として、授業中に大地震が襲い、再建中の校舎がつぶれたこと、動員先の板ガラス工場の3本煙突が真ん中から折れたことなどが記されている(P591~592)。
三重県教育史 年表統計編
1944年東南海地震の際、桑名市内の工場で勤労動員中の中学4年生が、倒壊した工場の煙突の下敷きになって死亡したことが記されている(P179)。
百年史 鳥羽商船高等専門学校
1944年東南海地震の際、午後の授業中に地震が襲い、瓦の落下などの被害があったこと、津波により観光道路まで浸水したこと、校地の地盤が沈下し、それ以来、運動場が満潮時浸水するようになったことなどが記され
熊野の大津波-敗戦直前の東南海地震-
文献全体にわたって、1944年東南海地震の際の、県内の被害状況や、熊野灘沿岸の津波による浸水状況や被災状況、津市内の工場社員の日記による当時の状況などが、当時の新聞記事や、尾鷲市街地・津市内の写真とと
三重県漁船保険組合70年史
錦漁業協同組合が編纂した「錦町漁業の変遷」に掲載されている手記「海上で見た大地震と大津波」を引用する形で、1944年東南海地震の際、海上で体験した地震や津波の状況、錦町内の被害状況などが記されている(